声を枯らして3週間の話

はじめまして。

この度、喉にまつわる厄を脱しましたので、

これを読んでくれた人には同じ目に遭わぬように

ぼくが過ごした3週間を書きたいと思います。見ていってください。

 

 

2016年の4月12日(火)に遡ります。

 その日は東京に就職活動で行っていました。面接が終わった頃 喉に違和感を感じていましたが、そのまま昔からのネッ友とオフ会に興じました。夜になって二次会の頃声が枯れ始めて熱、寒気、節々の痛みの症状も出ていました。日付が変わる頃解散しホテルに戻ったら完全に風邪を引いた状態で薬を飲んで寝ることにしたのでした。

 

4月13日(水)

 朝、風邪は治っていました。声は完全に枯渇し、ありがとうございますも言えませんでした。(言ってるつもりだけど発音されず)この日もオフ会の予定があり たくさん喋りました。掠れ声で精一杯。なによりマズかったのはサンダードルフィンというジェットコースターに4回も乗ったことだと思います。出ない声で大声を出したのを覚えています。口は渇きに渇いたと思います。オフ会を終えて奈良にこの日かえって来ました。一日を通して空を舞う紙切れのような声でした。

 

4月14日(木)

 声は枯れていましたが企業に赴き、社員と喋った記憶があります。言葉すべてに濁点がつく感じの声だったと思います。

 

4月16日(土)

 はじめて病院に行きました。新しくできた市民病院で内科の先生に診てもらいました。副鼻腔炎を疑われて顔のレントゲンを撮ってもらいましたが、違うかったらしく簡単な処方箋をもらいました。声の枯れ具合は回復方向ではありました。

 

4月20日(水)

 症状に変化というか今回の負の転機の日でした。声が戻ってきて代わりに咳が止まらなくなっていました。一日中咳きをして「これは疲れるな」と思ったのを覚えています。一度咳が始まると連鎖して咳がやまず、むせ続ける状態で、ほかの症状はないので元気なのに周りからは重篤な病気にかかってるやつに見えたかもしれません。この日はマッドマックスを観ました。

 

4月25日(日)

 まんまるなメガネを買いました。

 

4月27日(水)

 この日大きな変化がありました。前日から咳のしすぎで喉がいがいがするなと思っていたのですが、起きてご飯を食べようとしたら苦しくて痛くてパンを飲み込むのがしんどく1本だけスティックパンを食べるのがやっとでした。水も飲むと喉がずきんと響いて重傷だなと感じました。そして耳も内側からジンジンと痛んだので大学についてすぐ保健室に行きました。 

 保健室で大学の近くの内科の病院を聞いて向かいました。ここで初めてお医者サマから「へんとう腺腫れてるね。痛そぉ~」と言われました。耳の痛みもへんとう腺から耳への神経がつながっているから痛むとのことでした。へんとう腺炎ということでお薬をどっさりいただき服用するとその日は痛みが和らいだように感じました。

 

4月28日(木)

 事態が収束した日。でもこの日は正確には起きる前寝ているときから苦痛のピークでした。耳が痛すぎて眠ることができず、唾を飲み込むのも勇気が要る状態でした。起きて無理矢理水を飲んでパンを流し込んで大学に行きましたが、体調不良マックスで即帰宅、今度は耳鼻科へ行きました。

 耳鼻科に行ってお医者サマに診てもらうと「来るのが遅すぎる。」と怒られてしまいました。大学病院に紹介状を書いてもらって即日大学病院へ

 大学病院でしばらく待たされ呼ばれたときには熱も出ていて、水を飲めていなかったのでまず点滴からということになりました。しばらくうなされているとお医者サマ登場で、軽く診断され、入院してもらうかも と言われましたが Twitterに書いて現実感がでないように逃げ流していました。

 へんとう腺が腫れて膿んでいる末期状態らしく手術に、口に麻酔をされ注射が大嫌いだというのに口の中に漫画のような注射を突っ込まれました。僕はもろもろで意識朦朧で激痛に耐えているだけでしたが、後ろで観ている医者仲間や看護師は楽しげでした。膿が大量にあるために注射をぐりぐりかき回され抜き取ってもらうと「もう喋れるでしょ^^」と話しかけてくるお医者様に虚ろにうなずくのが精一杯。

 点滴で薬を入れてもらい13000円払って即日帰宅できたのは幸運だったみたいです。

 

 

書き始めと後半でやる気に偏りがありましたがこんな感じです。

ちな、病名は扁桃周囲膿症らしいです。大きい病気になったの15年ぶりだったので

忘れない意味も込めてこの記事締めます。